フォード家でメイドがメイドがクビにされる騒動が起こっている一方、オリビアは店の料理を堪能していた。「……美味しい! このお店の料理……家の料理と同じくらい……いえ、それ以上に美味しい!」オリビアは美味しそうな表情で、スパイスの効いた肉料理を口に入れた。「そうか、気に入ってくれたか。フォード家の令嬢にそう言ってもらえるのは光栄だな」カウンター越しからマックスが笑顔になる。「私が料理を気にいると、何かあるのですか?」「ああ、大ありだ。何しろフォード家といえば、美食貴族ということで有名じゃないか。それに現当主は、たまに食に関するコラムを書いて新聞に掲載されたりしているぞ?」「え!? 何ですか? その話」「自分の家のことなのに知らないのか?」「い、いえ。父が料理のことに関しては、中々こだわりがあるのは知っていましたが……」だからこそ、今夜粗末な料理が自分に出されることを知ったオリビアは外食をすることにしたのだ。料理に関してプライドの高い父親が、パンとスープのみの食事を見過すはずが無いと思ったからである。だが、まさかコラムまで書いていたとは思いもしていなかった。「特に今の当主が訪れる店は、味に間違いはない。必ず儲かる店になると言われているくらいだ。実際その通りだし」「そんな話……少しも知りませんでした。驚きです」「驚くのは、むしろこっちだ。オリビアはフォード家の娘なのに、そんなことも知らなかったのか?」マックスは肩をすくめた。いつの間にか、彼は「オリビア」と呼んでいる。「私……家族とは、うまくいってなくて疎外されているんです。会話に入ることもできません。顔を合わせるのは食事のときくらいなんです。それでも居心地が悪いので1人遅れて食卓について、一番早く席を立っています。だから家族のことを良く知らなくて……」「ふ〜ん。それで居心地が悪すぎて、今夜とうとう1人でバーに来たってわけか?」「いえ。そういう理由ではありませんが……ただ、何となく今夜は外で食事をしてみたかったんです」まさか義母に従順な態度を取らなかった罰として、夕食はパンとスープしか出してもらえないから……とは口に出せなかったのだ。(私自身、夜1人で外食するほど自分が行動的だったとは思わなかったわ。でも、これもきっとアデリーナ様のおかげね)笑顔のアデリーナの姿がオリビアの脳裏を
――20時半 食事を終えたオリビアは見送りするマックスと一緒に店を出た。「それで自転車はどこに止めてあるんだ?」マックスが周囲を見渡す。「ここに止めてあるわ」オリビアは店の路地脇をに置かれた自転車を指さした。「へ〜これがオリビアの自転車か。女で乗っているのは本当に珍しいよな。すごいじゃないか」「そう? ありがとう」いつの間にか、2人は砕けた口調で話をするまでになっていた。「もう遅い時間だが、家は近いのか?」「近いわよ。せいぜい自転車で10分程の距離だから。でも歩きだと20分はかかるけど」「へ〜それは便利だな。だったら、ちょくちょく来店出来るよな?」「え?」その話に、オリビアはマックスの顔を見上げる。「美食家のフォード家の御令嬢が足繁く来店してくれれば店の評判も上がるからな。その分サービスはするし、店にいる間は悪い男が絡んでこないように俺が見張っているから」「あ……ひょっとして私をカウンター席に移動させたのも、食事の間ずっと傍にいたのも、そのためだったの?」「ああ、そうさ。何だよ、今頃気づいたのか?」マックスが肩をすくめる。「ええ、……ごめんなさい。気づかなくて」「そんな謝ることはないって。でも、本当冗談抜きでたまに来店してくれるか? 新メニューを考えておくからさ」「まさか、この店の料理ってマックスが考えたの!?」「当然だろう? 俺はこの店のオーナーなんだぞ? 自分で考案して、レシピを雇った料理人に作らせている。それで俺はウェイターをして、悪い客がいないか見張ってるんだ。何しろ、昼間の時間帯は姉の店だから評判を落とすわけにはいかなくてね」「そうだったの……」(この人、口調も態度もどこか乱暴だけど……いい人みたい)「おい、心の声が漏れているぞ」「あ、ご、ごめんなさい!」まさか口に出していたとは思わず、オリビアは顔を真っ赤にさせた。「ハハ、別に謝らなくていいって。自分でも貴族らしくないと思ってるんだ。それじゃ気をつけて帰れよ。今度は婚約者も連れてくればいいんじゃないか? そうすれば安心だろうし、売上にも貢献してもらえそうだ」「え? 婚約者がいること、知っているの?」「あぁ、まあな。2年の女子学生の中で一番の才女だということで、試験結果が張り出される度、ギスランが自慢していたからな」「ギスランが私を自慢……?」
自転車に乗って、僅か10分ほどで屋敷に戻ってきたオリビア。扉は案の定閉まっていたので、鍵を開けて中に入ると自室へ向かった。「お帰りなさいませ、オリビア様!」部屋に戻ると、室内で待っていたトレーシーが駆け寄ってきた。「ただいま、トレーシー。私が出かけた後、何も変わりなかったわよね?」「いいえ、ありました。事件発生です!」オリビアの質問に、トレーシーは大きく頷く。「え! 事件? 何があったの!?」「はい。夕食時に不在のオリビア様の席にパンとスープが置かれたことで旦那様が激怒し、ついでにニコラス様と奥様も怒って、主犯格のメイドが1人クビになりました」トレーシーは余程興奮しているのか、一気にまくしたてる。「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて頂戴。状況がよく分からないから順を追って説明してくれる」「あ……申し訳ございません。ではもう一度説明させていただきますね」そこで、トレーシーは今夜の食事会で起こった出来事を細かく説明した――****「……そう。そんなことがあったのね? 確かにちょっとした事件ね」オリビアはトレーシーが淹れてくれたお茶を一口飲むと、口元に笑みを浮かべた。「はい、それはすごい光景でした。まさか旦那様がオリビア様に出された食事の件で、あれほど激怒されるとは思いもしませんでした。でもオリビア様が仰った通りになりましたね」「そうでしょう? 父は食に関してうるさいから子供の頃はしょっちゅう料理長が入れ替わっていたの。どうも料理が気に入らなくてクビにしていたみたい。そのことを思い出したのよ。何しろ食事に関して父は、とてもプライドが高いから」「確かに使用人である私達の料理も豪華ですね」納得したかのようにトレーシーが頷く。「だけど、まさかあのメイドがクビになるまで追い込められるとは思わなかったわ」「彼女、旦那様の前に連れてこられたとき真っ青な顔色でガタガタ震えていましたよ。奥様にまで怒鳴られていい気味でした。大体前からオリビア様に嫌がらせをしていて気に入らなかったんですよ」「そうね。今までの私なら、あのまま食事の席に着いて、ことを荒げないようにしていたでしょうけど……もう媚を売らないことにしたの。いくら私が皆に好かれるように愛想を振りまいても、何も変わらなかったわ。だからこれからは自分の思うように生きることに決めたのよ」そう言
—―翌朝いつものように6時半にセットした目覚まし時計でオリビアは目が覚めた。「う~ん、良く寝たわ」伸びをして起き上がると、部屋の中がいつもより薄暗いことに気付く。「あら? もしかして……」ベッドから降りて、カーテンを開けてみると外は生憎の雨だった。「雨……困ったわ。自転車で行けないわ」いつものオリビアなら、遠慮して馬車を出すのを躊躇っていた。けれど、憧れの女性、アデリーナを思い出す。「そうよ、私だって立派なフォード家の人間。遠慮する必要は無いわ。堂々と馬車を出して貰えばいいのよ」オリビエは完全に割り切ると、朝の支度を始めた。7時になり、専属メイドのトレーシーが部屋に現れた。「おはようございます、オリビア様。あ……また、お一人で朝のお支度をなさったのですか?」「ええ、自分の支度位、1人で出来るわよ。あなたはまず自分の仕事を優先してちょうだい」義母や異母妹には専属メイドが複数人いたが、オリビアにはトレーシー1人のみだった。当然、トレーシーは忙しい。なので出来るだけ負担をかけないようにオリビアは出来るものは自分でやってきたのである。「ありがとうございます。お仕えする方がオリビア様のような方で、本当に良かったです」大袈裟にお礼を述べるトレーシーにオリビアは笑みを浮かべる。「大げさね、トレーシーは」「あ、そう言えば仕事仲間に聞いたのですが、昨夜は深夜になっても旦那様の書斎から明かりが洩れていたそうです。珍しいこともあるものだと仲間内で話題になっていましたよ」「まぁ、そうなの? いつもお父様は22時過ぎには就寝しているのに……何かあったのかしら? でも、どうでもいいことだけどね」割り切ることに決めたオリビアは潔かった。「何だか、オリビア様。たった1日で変わりましたね。まるで魔法にかかったみたいです」「ううん。魔法にかかったのではなくて、多分魔法が解けたのかもしれないわ」勿論、魔法を解いてくれたのは……アデリーナであることは言うまでも無い。その時。—―ボーンボーンボーン7時半を告げる時計の音が鳴り響いた。「あ、朝食の時間だわ。行ってくるわね」「はい、行ってらっしゃいませ」オリビアはトレーシーに見送られ、ダイニングルームへ向かった。長い廊下を歩きながら、窓の外にめをやると外は本降りの雨になっている。「酷く降って来たわね…
いきなり手首を掴まれたメイドは、ギョッとした。今迄何を言われても言い返しもせず俯いて通り過ぎていた相手だけに、受けた衝撃は計り知れないものだった。「な、何をするのですか、オリビア様! 離して下さい!」「それは、こちらの台詞よ。今、あなた達はここの使用人にも関わらず私の悪口を言ったのよ? 一体どういうつもりなの!?」強い口調でオリビアは2人のメイドを交互に睨みつける。「ど、どういうつもりって……」 「それは……」メイド達は口を閉ざす。どういうつもりだと言われても答えようが無い。単にオリビアに嫌がらせしたいだけなのだから。「……もしかして、シャロンから私に嫌がらせをするように命令されているのかしら?」「いいえ!」 「それだけは違います!」オリビアの言葉に必死に首を振る2人のメイド。シャロンはオリビアに嫌がらせをするようにメイド達に指示したことは無い。そのことを知っていたオリビアはあえて、シャロンの名前を口にしたのだ。「そう。なら私に対する暴言は自分たちの意思だったということなのね?」「そ、そう……です……」 「私達の意思です……」観念したかのように俯くメイド。オリビアは未だにメイドの手首を掴んだまま、続ける。「使用人の立場でありながら、貴族である私にそんな態度を取っていいと思っているの? 確かこの屋敷で働いているメイド達は全員、協会からの紹介状を貰って雇用されているわよね。そこに訴えてもいいのよ? 雇い主の家人に暴言を吐いているって。フォード家の名を出せば、あなた達の立場はどうなると思う?」「ええ!? そ、そんな!」 「どうか、それだけはお許しください!」増々メイド達は青ざめる。「そう。どうしても許して欲しいのなら今すぐ私に謝って、二度と罵詈雑言を吐かないと約束してもらおうかしら?」オリビアは掴んでいたメイドの手首を放した。「大変、申し訳ございませんでした!」 「もう二度とこのような真似は致しません! どうかお許しください!」震えながら、頭を垂れる2人のメイド。「本当に反省しているのね? 絶対に二度と言わないと誓える?」「はい! 反省しています!」 「二度と言わないと誓います! だ、だからどうかお許しを……」協会に目をつけられてしまえば、二度と彼女たちはメイドとして雇用して貰えない可能性がある。
「あ……シャロン様」「わ、私たちは……」ベッキーとバーサは震えながらシャロンを見つめる。その様子に異変を感じたシャロンは、オリビアを睨みつけると指を差してきた。「ちょっと! 私のメイド達に何をしたのよ!?」「……」けれどオリビアは返事をせずに、踵を返すとダイニングルームへ歩いていく。「え?」まさか無視するとは思わずにシャロンは一瞬目を疑い……すぐに我に返った。「ちょっと! 何無視してるのよ! あんたに言ってるのが分からないの!?」必死で叫ぶもオリビアは足を止めない。「待ちなさいよ! オリビアッ!」名前を呼ぶと、そこでようやくオリビアは足を止めて振り返った。「オリビアじゃないでしょう?」「……え?」「あなたは私の妹よね? それなのにオリビアと呼ぶのはおかしいでしょう?」「はぁ!? 一体何を言ってるのよ!? この家の厄介者のくせに!」愛らしい外見とは裏腹に、シャロンは目を吊り上げてオリビアを怒鳴りつける。シャロンは世間ではまるで天使の様だ等ともてはやされてはいたが、実は裏表の激しい性格だったのだ。この事実を知る者は極わずかで、義母とオリビア。そして一部の使用人達のみだった。当然、兄も父も知るはずもない。シャロンは我儘に育てられたせいもあり、一度怒らせると手の付けようがない娘に成長してしまったのだった。人々の前でいい子ぶり、ストレスの反動がくるとオリビアに当たり散らす……それがシャロンの本性だ。そこでオリビアはシャロンのご機嫌を取って、今まで怒りを鎮めてきたのだが……。(本当に今までの私は何をしていたのかしら。何故こんな我儘妹のご機嫌を取っていたのか自分でも謎だわ)アデリーナによって目が覚めたオリビア。もう、媚を売る彼女はここには存在しない。オリビアはシャロンに向き直った。「あら、久しぶりに怖い顔ねぇ……でもいいの? こんなところで大きな声をあげていると父や兄に聞かれてしまかもしれないわよ?」オリビアはチラリと視線を動かし、ダイニングルームの扉を見つめた。「くっ……! お、お姉さま? 私のメイド達に一体何をしていたのでしょうか?」怒りを抑え、作り笑いを浮かべてシャロンは尋ねてくるが……口元がピクピク痙攣している。「それは、ここのメイド達が私に暴言を吐いたからほんの少し注意していただけよ。そうよね?」その言葉に
「あ……! お、お兄様……!」まさかミハエルに見られていたとは気づかず、真っ青になるシャロン。「シャロン……一体、どうしたんだ? さっきの姿は、まるでお前らしくないじゃないか」ミハエルが尋ねると、オリビアは大げさな素振りで否定した。「いいえ? 今の姿がシャロンの本当の姿ですけど? もしやお兄様は何も御存知無かったのですか? 同じ家族なのに?」「何だって? それは本当の話か?」オリビアの話にミハエルは目を見張ると……。「はぁ!? オリビア! いい加減なこと言うんじゃないわよ!」再び噛みつくように叫ぶシャロン。既に頭に血が上っているシャロンは、まともな思考能力を失っていた。ミハエルの眼前で、本性を現してしまったのだ。「あら? いいの、シャロン。大好きなお兄様の前でそんな態度を取って……ほら、御覧なさい。お兄様ったら……あんなに驚いているじゃないの」「え……あ!!」シャロンは振り向き。呆然とした顔で自分を見つめるミハエルとまともに視線が合ってしまった。その瞬間、一気に冷静さを取り戻す。「あ、あの違うんです! お兄様! こ、これは……そ、そう! 全てお姉さまがいけないんです! 悪いのは私では無く、目の前にいるお姉さまなんです!」シャロンはオリビアを指さし、必死で訴える。「シャロン……」ミハエルには先程のシャロンの激高した姿が頭から離れずにいた。佇んでいるとオリビアが追い打ちをかける。「人を指さし、姉である私を呼び捨てする段階でどちらが悪いか……賢明なお兄様ならお分かりになりますよね?」(賢明……? 俺が賢明だと?)オリビエの言葉に、ミハエルの心が大きく揺さぶられる。ミハエルはオリビアを嫌悪し、無視してきた。オリビアは大好きだった母の命と引き換えに生まれてきたからであった。だが、それは建前に過ぎない。本当の理由は、オリビアに対する劣等感だ。ミハエルはフォード家の長男であり、いずれは家督を継ぐ存在。それゆえ父からの期待は厚く、ミハエルはその期待に応えるために勉強も剣術も必死で努力を積み重ねてきた。剣術の腕前は確かなものになったが、いくら努力してもオリビアに敵わなかったのが勉強だった。優秀な貴族だけが通える難関大学に入学する為、ミハエルは寝る間も惜しんで勉強したが不合格だった。けれど、オリビアは違った。左程勉強する素振りも無
「え!? ち、父上!? いつの間にこちらにいらしたのですか? てっきりまだ寝室にいたのだとばかり思っていましたが?」「そんな話はどうでもいい! ミハエル! シャロンの言ったことは本当か!? お前は、賄賂を払って騎士団試験に合格させてもらったのか!?」父、ランドルフはズカズカとミハエルに近付くと眼前で足を止めた。「どうなのだ! 答えろ!」「そ、それは……」冷や汗を流すミハエルの側で、シャロンが大きな声で頷く。「はい! そうです、お父様! お兄様は先月、屋敷を訪ねてきたフードをかぶった男性にお金を渡していました。私はたまたま近くでその様子を見ていたのでよーく分かっています。『ここに金貨100枚入っている。必ず俺を騎士団試験に合格させてくれ』と、はっきりおっしゃってました!」「何! 金貨100枚だと!?」「まぁ! 金貨100枚!?」ランドルフとオリビアが同時に驚く。何しろ、金貨100枚と言えば大金だ。領地の税収1年分にあたる。「シャロンッ! こ、このバカ!」ミハエルは真っ青になって怒鳴りつけ、シャロンも負けじと言い返す。「バカはどっちよ! 才能も無い癖に騎士団試験を受けようとするからでしょう!」一方、高みの見物をしているのはオリビアだった。本当はシャロンとミハエルの口喧嘩が始まった段階で、退散しようとしたのだが父親の登場で話は変った。(これは何だか面白いことになってきたわね)ワクワクしながら様子を見守るオリビアの前で、今度はランドルフの怒りが爆発する。「ミハエル! その金は一体何処から工面した! いくらお前でも、それほどの貯金があるとは思えぬぞ! もしや……金庫の金に手を出したか!?」「た、確かに少し拝借しましたが……いいではありませんか! その賄賂のお陰で俺は、あの競争率の高い騎士団に入団出来たのですよ!? あそこはとても給料が高いです! すぐに元を取り戻せますよ!」「何だと! 我が家の金庫の金に手を付け、尚且つ卑怯な手を使って騎士団に入団したくせに、開き直るな! このクズ息子め! こんなことなら、オリビアの方がお前よりもまだずっとずっとマシだ!!」(あら、お父様がついに私のことを認めたのかしら?)けれど、今更父親に認められてもオリビアの心には何も響かない。彼女はいつまでも自分を顧みない家族に見切りをつけ、アデリーナを崇拝してい
「な、何ですって……ギスランが来た……?」フットマンの言葉に青ざめるシャロン。「ふ~ん……ギスラン、やっと来たのね」「ちょっと! オリビアッ! まさかあんたがギスランを呼んだの!?」シャロンはオリビアを指さしてきた。「は? まさか。何故私がギスランをわざわざ家に呼ぶのよ。大体いつも彼は貴女に会う為だけに来ていたでしょう? でも折角来たのだから、応接室にでも案内してあげれば?」「はぁ!? ふざけないで! さっさと追い返しなさいよ!」ヒステリックな声を上げるシャロンに、フットマンはオロオロした様子で返事をする。「そ、それがあの……もう、いつものようにギスラン様を応接室にお通ししてしまったのですが……」「何ですって! どうしてそんな勝手な真似をするのよ!」「そんな……勝手なマネだなんて……」半泣きのフットマン。シャロンはもう使用人の前でも自分の本性を隠そうとはしない。そこでオリビアは助け舟を出した。「シャロン、責めるのはおよしなさいよ。元々彼は自分の仕事を忠実にこなしただけでしょう?」「オリビア様……」感動した様子でフットマンがオリビアを見つめる。「それでギスランは何と言って、訪ねてきたのかしら?」シャロンを無視し、フットマンに尋ねた。「ちょ、ちょっとオリビアッ! 余計な口挟まないでよ!」「はい。ギスラン様はたいそうシャロン様のことを心配なされておいでで、会えるまでは何があっても帰らないと仰っております」「あら、そうなの? 本当にギスランはシャロンのことを愛しているのねぇ。良かったじゃない?」オリビアは笑顔をシャロンに向ける。「嫌味なことを言うんじゃないわよ! 大体ねぇ、あんたは私があの男に興味が無いのは、もう知っているでしょう! 冗談じゃないわよ! あんな男、もういらない。あんたに返してあげるわよ!」「シャロン! 今の話は本当なのか!?」その直後。突如として廊下にギスランの声が響き渡った。「あら、ギスラン。いらっしゃい」何食わぬ顔でオリビアはギスランに声をかける。「あ、ああ‥‥‥お邪魔しているが……シャロン。今俺に興味が無いって言葉が聞こえてきたんだが……」ギスランは青ざめた顔で訴えるような目でシャロンを見る。「ええ、そうよ! この際だからはっきり言ってあげる。私はねぇ、一度たりともあんたに好意を抱いたことは
馬車がフォード家に到着し、扉が開かれた。「オリビア様、到着いたしましたよ。どうです? 所要時間10分の短縮に成功しました……ええっ!? どうなさったのです!?」オリビアの様子は酷い有様だった。髪は乱れ、疲れ切った様子で椅子に座っている姿に驚くテッド。「オリビア様! 大丈夫ですか!?」「無事に着いたのね……よ、良かったわ……」青ざめた顔でオリビアは返事をすると、テッドはぺこぺこと頭を下げて必死に謝罪する。「申し訳ございません! つい、調子に乗ってスピードを出し過ぎてしまいました。本当に何とお詫びすれば良いか……!」「い、いいのよ。元々スピードを上げてと言ったのは私の方だから……」けれどオリビアの脳裏に先程の恐怖の時間が蘇る。まるで舌を噛むのではないかと思われる勢いでガタガタと走る馬車。途中、何度も椅子から身体がフワリと浮き上がり、ドスンと落ちて身体に振動が響く。揺れが激し過ぎて身体が左右に揺さぶられ、何度か壁に頭を打ち付けてまったときもある。「誠に申し訳ございません……」テッドはすっかり落ち込んでいる。「本当に私のことなら気にしないで大丈夫よ。だってあなたのおかげでギスランよりも早く屋敷に帰って来ることが出来たのだから」「あ、そういえば来る途中に。 馬車を1台抜かしていきました。御者の男はギョッとした様子でこちらを見ていましたっけ。きっとあの馬車がそうだったのですよ! 恐らく俺の馬車テクニックに恐れおののいたのでしょうねぇ」得意げに胸をそらせるテッド。しかし、彼は知らない。御者が驚いたのは確かだが、馬車テクニックではなくテッドの発する奇声に恐れおののいていたと言う事実を。「何はともあれギスランより早く着いたことはお礼を言うわ。ありがとう、テッド」「お褒め頂き、ありがとうございます。ではまた同じような速度で今後も馬車を走らせても良いでしょうか?」テッドはあの風を切って走る爽快感が病みつきになっていたのだ。「それは却下よ!」「はい……そうですよね」シュンとするテッド。「そういうことは、誰も乗せない馬車でやって頂戴ね」「はい、オリビア様!」オリビアは馬車を降りると、テッドに見守られながら屋敷の中へ入っていった。**「はぁ~……それにしても怖かったわ。今も生きているのが不思議なくらいね」馬車の中で足を踏ん張り、手すりに
「え!? 婚約破棄だって!? まさかあのギスランとか!?」マックスは余程驚いたのか、追いかけてきた。「ええ、あのギスランよ。彼以外に他にギスランはいないわ」「成程。オリビアもアデリーナ令嬢に触発されて、婚約破棄することを決意したのか」マックスはどこか嬉しそうに笑顔になる。「マックス……随分、嬉しそうね?」「それはそうさ。オリビアは知らないだろうけど、あいつはよくクラスの連中に話していたんだぜ? 俺の婚約者は可愛げが無いが、妹はとても愛らしいって。彼女が婚約者だったらどんなにか良かったのになって……え? 何故そこで笑うんだ? 普通は怒るところだろう?」オリビアが口元に笑みをうかべている様子にマックスは戸惑う。「それはおかしいに決まっているわよ。私はギスランと婚約破棄したい、そして彼はそれを望んでいる。もっとおかしいのは妹が本当は彼を嫌っているのだから」「何だって!? それは楽し……いや、大変な話だな。だけど妙だな……何故君の妹はギスランのことが大嫌いなのに、愛嬌を振りまいていたんだ?」「そんなのは簡単なことよ。私と妹は血の繋がりは無いの。そして義母は私を嫌っている。つまり私に嫌がらせする為に、わざとギスランに近付いたってわけよ」「うわ、何だよそれ。随分な話だな」マックスが眉をひそめる。「でもそのお陰で、私はギスランと婚約破棄しやすくなったわ。それに面白いことになりそうじゃない? ギスランは妹に好かれていると思っていたのに、実際は嫌われていることをまだ知らないのよ? きっとそろそろ家で騒ぎが起きる頃だと思うの。どさくさに紛れて婚約破棄してやるわ。勿論妹との不貞の罪でね」「そうか……それは楽しみだな。あいつに婚約破棄を突き付けてやれ!」「ええ。任せて頂戴! それじゃ、私急ぐから!」オリビアは元気良く手を振ると、馬繋場へ向かって駆けて行った。「頑張れよ、オリビア」マックスは小さくなっていくオリビアの背中に告げた——****「遅くなってごめんなさい!」馬繋場へ行くと、御者のテッドが待っていた。「いいえ、そんなこと気にしないで下さい。仕事ですから」「そう? ならここで御者として、貴方の腕前をみせてくれるかしら?」「え? 何のことでしょう?」首を傾げるテッド。「事故に気を付けて、スピードを出してなるべく早く屋敷に連れ帰って頂戴
「勝ったー! アデリーナ様の勝ちだ!」「やった! 暴君が負けたぞ!」「キャーッ! アデリーナ様ー!」「愛していますっ!」ディートリッヒが首を垂れた途端、拍手喝さいが沸き上がった。歓喜に包まれる中、アデリーナはディートリッヒを見下ろす。「ではディートリッヒ様。約束通り、私から婚約破棄させて頂きます。婚約破棄の理由はズバリ、貴方の不貞ということで国王陛下に報告させて頂きますから」その言葉にディートリッヒは青ざめる。「不貞だって!? 冗談じゃないっ! 婚約破棄は受け入れるが、理由を不貞にするのはやめてくれ! 頼む!」ついにプライドを捨てたディートリッヒは地べたに頭を擦りつけた。「今更何をおっしゃているのですか? 決闘に負けたのはディートリッヒ様ですよ? それに私という婚約者がありながら、サンドラさんという方と不貞を働いたではありませんか? 今はこの場にいないようですけど」辺りを見渡すアデリーナ。アデリーナは知らないが、サンドラはあまりにも事が大きくなり過ぎたことが怖くなり、逃げてしまったのだ。「お、おいっ!? 不貞と言うな! 俺と彼女はお前が考えているような関係じゃないぞ! それにこんな大観衆の前で、妙な話をするんじゃない!」「ディートリッヒ様がいくらサンドラさんと男女の関係は無かったと言っても、四六時中、彼女を傍に侍らせていたのは事実! ここにいる皆さんが証人です!」アデリーナは見物している学生たちを見渡した。「そうだ! 俺達が証人だ!」「浮気なんて最低よ!」「言い訳するなっ!」「尻軽男め!」学生たちの間から、ディートリッヒに関するヤジが飛び始める。もはや彼が侯爵家の者だろうが、お構いなしだ。「くっ……! 周りを巻き込むなんて卑怯だぞ!! そ、それに剣術ができるなんて、俺は聞いていない! 騙しやがって!」「別に騙してなどおりません。ディートリッヒ様が知らなかっただけではありませか。まぁ、それも無理ありませんよね? 貴方は少しも私に興味を持っていなかったのですから」アデリーナの冷たい声はディートリッヒの背筋を寒くさせた。「ア、アデリーナ……お、お前……一体……」「そんなことより、まだ婚約破棄の理由にケチをつけるつもりですか? それとも私にとどめを刺されたいのでしょうか?」握りしめていた剣の先を喉元に向ける。「ひぃっ!
オリビアとマックスはアデリーナが決闘場所に指定した中庭へとやって来た。「まぁ! すごい人ね!」思わずオリビアは声を上げる。既に中庭には驚くほどの学生たちが集まり、決闘が始まるのを待ち構えていたのだ。「どうやらまだ決闘は始まっていないようだな」「そうね。ディートリッヒ様もアデリーナ様の姿も見えないもの」そのとき突然学生たちが騒ぎ始めた。「あ! 来たぞ!」「ディートリッヒ様だわ!」「侯爵が現れたぞ!」上着を脱ぎ、袖をまくった観衆の前にディートリッヒが現れた。彼の右手には剣が握りしめられている。ディートリッヒは姿を見せるや否や、見物に訪れた学生たちに怒鳴りつけてきた。「おまえたち! 何でここに集まっているんだよ! この決闘は見世物じゃないぞ! どっか行けっ!」するとたちまち、学生たちから非難めいたざわめきが起こる。「聞いた? 今の言い方」「本当に乱暴な方だな」「こんなに血の気が多いとは思わなかった」「まさに暴君だ」「おい! そこのお前! 誰が暴君だ! 聞こえたぞ!」ディートリッヒは怒り叫び、声の聞こえた方角に剣を向けたその時。「ディートリッヒ様! 貴方の相手は私ですよ!」凛とした声が響き渡り、腰に剣を差したアデリーナが現れた。赤い髪を後ろに一つにまとめたアデリーナ。赤い丈の短いジャケットを着用し、白いボトムスにロングブーツ姿のアデリーナはまさに戦う女性騎士の姿そのものだ。途端に学生たちから歓声が沸き上がる。「キャーッ! 素敵!」「なんて美しい姿なの!」「応援してますよ!」「コテンパンにやってください!」もはやディートリッヒを応援する者は誰もいない。全員がアデリーナを応援している。「それにしてもディートリッヒ様。まさかそんな姿で決闘に現れるとは思いませんでした。正直驚きましたわ」アデリーナは腰に腕を当てて、ディートリッヒを見つめる。「黙れ! お前の方こそなんだ? その姿は! 騎士の姿をすれば勝てると思っているなら大間違いだ! お前なんかなぁ、この姿で戦って十分なんだよ! どうせすぐに終わる戦いなんだからな!」ディートリッヒは剣を鞘から引き抜き、切っ先をアデリーナに向ける。「そうですか……私も随分舐められたものですね」「当然だ! 女のくせに決闘なんか申し込みやがって! どうせ格好だけで、剣だってまともに
—―15時30分授業が終わると、オリビアは急いで帰り支度を始めた。何しろ、16時からアデリーナとディートリッヒの決闘が始まるのだ。何としてもすぐ近くで見守らなければならない。「ねぇ、オリビア。本当にアデリーナ様の決闘を見に行くの?」隣りの席に座るエレナが心配そうに尋ねてきた。「ええ、当然よ。私はこの目でアデリーナ様の勝負の行方を見守らなければいけないのだから」「そうなのね。でも……ほら、あれを見て」エレナが教室の入り口を指さす。「え? 何かあるの? あら」入り口に視線を移し、オリビアは目を見開いた。他の教室で講義を受けていたはずのギスランが大股でこちらへ近づいて来たのだ。「オリビエ、待たせたな」「え? 私は別に待ってなんかいないけど?」今のオリビエはギスランに全く興味が無い。そこでありのままの気持ちを口にした。「は? 何言ってるんだ。そんなに慌てた様子で帰り支度していたってことは俺のことを待っていたんだろう?」「どうして私がギスランを待たなければいけないのよ」「何だよ。ここ最近様子がおかしいな……もしかして俺が今までお前をあまり構わなかったから心配させようとして、そんな態度を取っているのか?」「本当にギスランのことなんか待っていないわよ。急いでいたのは他に用事があるからよ」「そうよ、オリビアはこれから大事な用事があるのだから。帰りたいなら1人で帰りなさいよ」見かねたエレナが会話に入って来た。「部外者は黙っていてくれ。大体大事な用事だって? 一体これから何があるって言うんだよ。俺は今朝、言ったよな? 放課後シャロンの見舞いに行くって。忘れてしまったのか?」「ええ、覚えているわよ。お見舞いに行くなら、こんなところにいないでさっさと行けばいいでしょう?」「何言ってるんだよ! 俺が1人で行ってどうするんだよ。お前も一緒に来るんだよ!」いきなり右手でオリビアの腕を掴んできた。「ちょっと放してよ!」「いいから帰るぞ、ほら!」乱暴に腕を引っ張るギスランをエレナが止める。「ギスランッ! オリビアに乱暴はやめなさいよ!」その時――「おい。何してるんだよ」突然背後からギスランの左腕がねじりあげられた。「うぁあっ! 痛って!」あまりの痛さに叫ぶギスラン。オリビエアそのすきに腕から逃れた。「大丈夫!? オリビアッ!」エレナが
「う、うるさい! それはこちらの台詞だ! アデリーナッ! お前こそ逃げたりしたら承知しないからな! 大体そこのお前たち、何見てんだよ! 俺は見世物じゃないんだ! あっちへ行けよ! 一体俺を誰だと思っているんだ!」ディートリッヒは上着を脱ぐと、周りで見ていた学生たちに向かって振り回し始めたのだ。「うわ! ついにおかしくなったぞ!」「八つ当たりし始めた!」「早く行きましょう!」学生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていき、再びディートリッヒはアデリーナを睨みつけてきた。「くそっ! お前のせいで俺の評判がガタ落ちだ! 絶対にお前を倒してやる!」吐き捨てるように言うとディートリッヒは逃げるように走り出した。「え!? 待ってください! 置いていかないで! ディートリッヒ様!」サンドラも慌てて後を追いかけ、その場に残されたのはオリビエアとアデリーナの2人だけとなる。そこでようやく、オリビアは背を向けているアデリーナに駆け寄った。「アデリーナ様っ!」「え? まぁ! オリビアさん! いつからそこにいたの?」アデリーナは驚きで目を見開く。「アデリーナ様がディートリッヒ様に決闘を申し込んだあたりからです」「そうだったのね? 何だか恥ずかしいところを見られてしまったわね」頬を赤らめるアデリーナにオリビアは首を振る。「いいえ! そんなことはありません! むしろ、とても格好良かったです、最高に素敵でした!」「フフ、ありがとう。オリビアさんにそんな風に言って貰えると嬉しいわ」「ですが決闘なんて……しかも剣術での決闘ですよ? 相手はディートリッヒ様ですよ? 周りの人たちの話ではディートリッヒ様の剣術の腕前は中々だと評判でした。そんな方を相手になんて……。今日決闘をするなら、剣術の特訓だって出来ませんよ?」オリビアの目からは、とてもではないがアデリーナが剣で戦えるとは思えなかったのだ。「オリビアさん、私のことをそんなに心配してくれるのね? でも大丈夫よ。勝てない勝負をするつもりも無いから。私を信じてくれるかしら?」「……分かりました。 私、アデリーナ様のことを信じます! 絶対にあんな男に負けないで下さいね!」「あんな男……ね。フフフ、オリビアさんも言うようになったじゃない?」「はい、私が変われたのはアデリーナ様のお陰ですから」「そう言って貰えると嬉
「ほう~俺が決闘内容を決めて良いというのか? 随分と余裕があるじゃないか?」ディートリッヒの挑戦的な言葉に、アデリーナはフッと笑う。「一応貴方はまだ私の婚約者ですからね。せめてもの恩情です。さ、どれになさいますか? 馬術、剣術? それとも学力試験で競い合いましょうか? カードで勝負するのも良いかもしれませんね?」「な、なんて生意気な女だ……いいだろう、なら俺から決闘方法を選ばせてもらおう」「ええ、どうぞ」「そうだな、なら……」ディートリッヒは偉そうな態度を取ってはいるが、心中は全く余裕が無かった。彼は心底、今のアデリーナに怯えていたのだった。(一体、アデリーナの堂々とした態度は何だっていうんだ? いや、違うな。この女は昔からふてぶてしい態度を取り続けていた。いつも何処か俺を見下したような態度を取って全く可愛げが無い生意気な女だった。だから俺は外見は可愛くて、頭が空っぽそうなサンドラにちょっと声をかけただけなのに……)自分の腕にしがみつき、すがるような目を向けてくるサンドラをうんざりした気分でチラリと見る。本当は、とっくにサンドラに飽きてしまって今すぐ縁を切りたい位なのに、世間では恋人同士と認識されているのでそれすら出来ない。「ディートリッヒ様、私どんな勝負でも貴方が勝てるって信じてますから」猫なで声を出すサンドラに、ディートリッヒは心の中で舌打ちする。(チッ! 人の気も知らないで、いい気なもんだ。サンドラがこんなに馬鹿だとは思わなかった。自分の立場もわきまえず、いい気になりやがって。周囲に俺と恋人同士になったと言いふらし、いつでもどこでも付きまとってくるから、切りたくても切れやしない。元はといえばサンドラのせいで俺がこんな目に遭っているっていうのに)呆れたことに、ディートリッヒは自分の浮気を全てアデリーナとサンドラのせいにしていたのだ。「どうしたのです? ディートリッヒ様。早く決闘方法を決めて下さりませんか? これ以上無駄な時間を費やしたくはありませんので、もし決められないのなら私が決めてしまいますよ?」アデリーナの催促に増々焦りが募る。「う、うるさい! 何が無駄な時間だ! こっちはなぁ、どんな決闘なら少しでもお前が有利に戦えるかって、さっきからずっと考えているんだよ!」「あら、そうですか? それはお気遣いありがとうございます。
「決闘だって!?」「侯爵令嬢が決闘を申し出たわ!」「これは大事件だ!」集まる学生たちは、目の色を変えて大騒ぎを始めた。赤い髪を風になびかせ、学生たちの好奇の視線を浴びるアデリーナの姿はオリビアの心を震わせた。(アデリーナ様……素敵! 素敵すぎるわ! あの凛々しいお姿……まさにこの世の奇跡だわ……)アデリーナの姿に感銘を受けたのはオリビアだけではない。女子学生たちの見る目も変わってきていた。「何だか……ちょっと素敵じゃない?」「ええ、誰が悪女なんて言ったのかしら」「私、好きになってしまいそう……」余裕の態度のアデリーナに対し、ディートリッヒは青ざめていた。けれどそれは無理も無い話だろう。決闘を申し込んできたのは女性、しかも婚約者なのだから。「ア、アデリーナッ! お前、本気で俺に決闘を申し込んでいるのか!?」「ええ、そうです。あなたのせいで私の大切な友人が手を怪我したのですから当然です!」その言葉にオリビアは衝撃を受けた。(え!? まさか決闘って……私の為だったの!?)一方、面食らうのはディートリッヒ。「何だって!? 俺は誰も怪我させたりなどしていないぞ! 言いがかりをつけるな!」「確かに、直接手を下したわけではありませんが……ディートリッヒ様! 貴方のせいで彼女が怪我をしたのは確かです! それに手袋を拾った以上、決闘の申し込みを受けて頂きます!」「くっ……」大勢のギャラリーに見守られ、逃げ場がないディートリッヒ。「そ、それじゃ……勝者にはどんな得があるんだ?」「そうですね。もしディートリッヒ様が私に勝てば、どんな命令にも従いましょう」「そうか。ならもし俺が勝ったら地べたに這いつくばって、サンドラに詫びを入れて貰おう」「ディートリッヒ様……」サンドラが頬を赤らめ、周囲のざわめきが大きくなる。「おい、聞いたか? 謝れだってよ」「そんな……侯爵令嬢が男爵令嬢に謝るなんて」「これは屈辱だな」「ええ、良いでしょう。地べたに這いつくばるなり、何なりとしてあげますわ。それどころか1日、サンドラさんのメイドになって差し上げてもよろしくてよ?」「ほ、本当ですか? 本当に……私のメイドになってくれるのですね?」サンドラが図々しくもアデリーナに尋ねてくる。「ええ、ただし私が負けたらですけど?」毅然と頷くアデリーナに、ディート